アダムの知性

アダムはエデンの園で、すべての生き物に名前を付けたという。

「そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。 (創世記2章19節)」

ここからわかることは、アダムの知性の高さである。

生物の種類は870万種類だという。(ただし、正確な数はわかっていない。)

アダムが名付けた生物の種類が、「馬、猫、羊、オオカミ・・・ダンゴムシ、カマキリ・・・」と続いたとして、アダムは、その名前を最後まで、一切重複しなかったわけである。

つまり、アダムの記憶力は、870万の種の特徴に従って名付たデータベースを、すべて覚えて重複することがなかったということである。

つまり、神の創造した人(アダム)の知性はかくも素晴らしかった・・・

そして、現代に至るまでの人類の歴史で、人間の知性は、「進化」したのではなく、むしろ、アダムのレベルから見れば、「退潮」しているのである。

現代人は、インターネットの助け無くしては、何もできなくなっている。現代は、一見進歩したようであるが、アダムの知性には、とうてい、かなわないのである。

ゆえに、社会がこれから「進化」して「より良いものになる」というのは、幻想である。

さらに、アダムとエバは、人類の祖であるのだが、彼らが、罪を犯し、追放される前のエデンの園では、創造主たる神と自由に語り合っていたのである。

しかしながら、現代の人間は、創造主の存在を認めず、自らの文明を誇り、すばらしい将来があると言っている。

神の創造の完璧さからするならば、現代とは、むしろ、オリジナルよりも「劣化」しており、もう一度リセットする必要があるものなのだ。

20世紀になり、人類は、制御不能な原子力まで手を染め、自らを滅ぼすことができる核兵器まで所持するようになった。ゆえに、このまま時代が進み、文明維持の「閾値(しきい値)」を越えるならば、終末を迎えてしまうのは、自明の理である。

ゆえに、神は「聖書」「ゴスペル」「救い主」をこの世界に出現させることによって、この世界の最終段階に備えておられるのだ。

神を侮ってはいけない。

神は、この世界が、無秩序に滅びることを放置するお方ではないのだ。

ゆえに、私たちのするべきことはただ一つ。

自分の「創り主」なる、神の御もとに立ち返るということである。

自分の魂の故郷。自分の命の源、自分の人生の始まり、である、神を認め、神とともに歩むこと。

これが、この最後の時代に生きる私たちの、最重要課題なのだ。

Return to God today!

神は私たちを待っておられる。

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